あなたがオレを忘れる アタマ、ムネ、ツマサキへと 静かに消えていくさ
ゴ ー ス ト ・ ソ ン グ
水面が揺らぐと、なぜかざわりと心騒ぐ思いがした。そして同時に、手を伸べたい衝動に駆られる。 (なにに?) 水はひどく澄んでいて、それこそ底に転がる石さえも見てとれた。メダカの一匹すらいない。当然だ、入れていないのだから。肉眼では見えない微小な生物や、雨の時期になれば蛙かアメンボくらいは現れるかもしれないが、とにかく今はこの池には生命の気配は感じられない。 それに違和感を覚えるのは、なぜなんだろう。 「あ、太子! またこんなとこに!」 背後からの声に振り向くと、有能な部下であり愛しの恋人でもある彼が早足にこちらへ歩み寄ってくるところだった。大きく腕を広げて待つと、するりと懐に滑り込むと同時にアッパーカットをくらう。 「仕事しろっつってんだろうがこのアホがあああ!!」 「おゴッファァ!! 下顎へのピンポイントかつダイレクトな一撃と共に頸椎にもダメージがァァ!」 「なんですかその説明口調」 顎を押さえてうずくまる私を見下した妹子が、毎日毎日よく飽きもせずサボれますね、とため息をついた。ついにあんたの机脚折れましたよため込みまくった書類の重みで、と苦々しげに付け加える。 「なに!? 紙の重さごときに負けるようなヤワな机を摂政が使えるか! てかサボタージュに飽きるとかないだろ普通」 「使ったためしがあるのかあんたはあれを? てかサボタージュって、わざわざ略さずに言うななんかキモい」 キモいとはなんたる言い草だろう。こいつは口を開けばやれ仕事しろだの臭いだのいい加減ジャージ着るのやめたらどうですかだのあんた付きの新しい女官また一日で辞めましたよだの人んちの庭に勝手にバオバブ植えないでくださいだの放してあげてください犬嫌がってますよだの、およそ敬意や愛情と云うものの感じられない台詞ばかりだ。それに比べて、 (それに比べて?) (比べて、なんだ?) 頭に浮かんだ言葉、胸に湧いた感覚に、首を傾げる。彼が容赦ないのもつれないのも昔からのことで、そして悲しいかな、朝廷内にはそれに賛同する者こそあれ私の擁護に回ってくれる者などいないのだ。無条件で味方でいてくれる相手など、私には。 どこか腑に落ちない私に、妹子は「でも楽っちゃあ楽ですよ、最近は」と言った。 「いないと思ったらいつもここですからね。探す手間は省けます」 「え、そう? そんなに私ここ来てる?」 「ええ、しょっちゅう。サボるときだけじゃなくて、夜とかもたまに来てるじゃないですか」 「そっ、か。そう、だっけ」 言われてみれば、それこそ毎日のようにここに来ていた。雨の日も、風の日も、風邪の日も。無意識だった。気づけばここに来て、ぼんやり水面を眺めていた。まるでなにかを待つかのように。 私は池を振り返り、考え込む。待つ、そう云ってみればその言葉がいちばん近いように思える。だとしたら、なにを待っているのだろう。彼が探しにくるのを? 否、それならばここである必要はない。むしろいろいろな場所に身を潜めたほうが、「どこにいても彼ならば必ず見つけてくれる」と云う安心感と優越感に浸ることができるはずだ。しかし私はそれをしない。愛情確認の手段ではないのだ、これは。 しばらく黙っていた妹子が、ゆっくり私の隣にしゃがみ込んだ。並んで、ぼんやり池を眺める。 「実は、僕もなんです」 「へ?」 「なんかね、来ちゃうんですよ。ここ」 なんででしょうね、と呟く。 さあっと風が渡り、ざわめいた水面がきらきらと光った。その乱反射はひどく綺麗で、なぜだか泣きたくなるような既視感を覚える。いとしい、と、そう思った。 「……行くか、妹子」 「そうですね」 ちゃんと仕事片づけないと机も浮かばれませんよ、と妹子が言うから、なんだそれ、と笑った。 立ち上がってさりげなく手をつなぐ。ふりほどかれは、しなかった。確かな温もりを感じながら、頭に浮かんだ台詞を反芻する。 (さよなら、ごめんね、ありがとう) ちゃぽん、と背後で水音がきこえたのは、きっと気のせいだろう。 (song by APOGEE) |