嘘をつくのを悪だと思おうが思わなかろうが結局のところ人間は毎日なにかしらの嘘はつくものだし、そもそも私は嘘をつくのを悪だとは思わないから平気な顔をして人をたくさん欺いた。今までもそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていく。と云う確信。 ただ平気な顔をして嘘をつく私を見てあんたは嘘が下手ですね、と彼が言うから、 「『一に曰く、和を以って貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、亦達れる者少し。是を以て或いは君父に順はず、乍た隣里に違ふ。然れども、上和らぎ下睦びて、事を論ふにかなひぬるときには、則ち事理自づから通ふ。何事か成らざらむ。二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝は、則ち四生の終の帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を貴ばざる。人尤だ悪しきもの鮮し。能く教ふれば従ふ。其三宝に帰りまつらずは、何を以てか枉れるを直さむ。三に曰く、詔を承りては……』」 「もうよいです、厩戸」 あなたにも多く務むるべきがありましょう、あとはわたくしが目を通しておきます。 御簾の向こうに在りても、婉然と微笑むさまが明瞭に浮かぶのはなぜだろうか。 そんなことをぼんやり疑問に思いつつ、は、と畏みて、側の者に新たなきめごとを記した巻物を託し、その場を退いた。 「『世間虚仮、唯仏是真』」 「『この世は仮の宿りであり、仏の教えこそがまことである。この世には多くの苦しみが、悲しみが、嫉みが、争いが、痛みがあろう。仏の御心に従ったとて、それらが消え失せるとは云わぬ。仮であろうと、空ろであろうと、今我らが在るのは此処だ。この世だ。しかし我らは、いつか必ず此処を去らねばならぬときが来よう。まことを知る者は此処を去り、何処へ行くのか。知らざる者はまた、何処へ。信じよ、そして見据えよ。この世を。痛みを。自らを。まことを学び、信じ、今此処に在る我らを浄めんと努めよ。さすれば美しき国も見えよう。』」 「素晴らしき、御言葉にございます」 そう呟いて后は、珠のような涙を一粒落とした。 一言一句漏らすことなく熱心に書き残さんとしていた僧の持つ筆は、微かに震えていた。 夕刻の橘の花の下がひどく心地よかった、ただそれだけだった。そうしていたら湧き上がったなにかが内部で澱んでしまうのが怖くて吐き出した、ただそれだけだった。 窓の外にやっていた視線を戻してにこりと笑ったけれど、見えるのは深々と下げられた頭だけだった。 「なんなんですかね、あんたは」 なんなんですかってことはないだろ、と言うと、口の端からカレーがつうと垂れた。ああもう太子汚い! と妹子は叫び、おしぼりを投げてよこす。私はそれで口と、ついでにカレーまみれの手を綺麗に拭いて、丸めてまた妹子に投げ返した。 「ちょっ、汚っ! なんで返すんですかバカヤロウ!」 「バカヤロウとはなんだバカヤロウとは! クソッ、私の魔球を華麗によけやがって……カレーだけに……」 「だれがうまいこと言えと」 っていうかうまくないですけどね、と冷めた口調で言い、ほんとなんなんだろうなああんたは、と独りごとのように続ける。左手でぶちぶち草をむしっているのは、あれはたぶん無意識だろう。 「絶対普通じゃないですよね、太子って」 「そりゃそうだろ。摂政だしイケメンだぞ。才も色も兼備だぞ」 「それは絶対違いますけど。でもああ、なんだろうなあ」 「あんたは普通じゃないから、きっと普通ってのがどういうことなのかわかってるんだ。でもあんたは普通じゃないから、普通にはなれない。普通を演じても仕方ないってわかってるから、嘘をつくんだ。普通じゃない嘘をたくさん、無意味に、たぶんなにかに許されるために。ねえ太子、僕は」 「あんたがときどきすごく弱くて哀れなものに見える。そう言ったら、怒りますか?」 (ああ、私がおまえと出会ったのは、きっと誤算だったんだなあ)
おかしいな、この日々は
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