先に吐精した彼のものでぐちゃぐちゃに慣らした後孔に、一気に熱を突き立てた。あ、と声にならない声を上げる彼と、ぐ、と息を詰める自分と、互いの呼吸を奪い合うようにキスをする。交わすなんてもんじゃない、そこでも交わるような口づけ。彼の手が所在なく背を這うと、たまらなく欲情した。 「んっ、そら、動い」 彼が言い終わる前に腰を動かす。語尾は舌足らずな喘ぎに掻き消された。切っ先で抉るように、最奥を何度も何度も穿つ。 「うあ、あ、そらぁ……! きもち、きもちい……!」 「僕も、です……ッ」 「あぅ、ふ、う、ほんと、に?」 汗で額に貼りついた前髪を指でのけて答えの代わりに唇を落とすと、首にぎゅうと抱きついた彼が耳元で「よかった」と笑った。僕は眉根を寄せ、ぎりっと奥歯を噛んで声を殺す。そんなのは反則だ。囁きひとつで達してしまいそうになる。 何とか持ち堪え、彼の細い腰を抱え上げて片膝を立て、上から突き落とすように律動した。切れ切れに上がる彼の声が泣き声に近くなる。 「も、イきますか……?」 熱に浮かされてかすれた自分の声がとんでもなく切なくて、なんだかおかしくなった。馬鹿みたいだ。こんな猿みたいに腰振って、男同士で、繋がってるのは身体だけで。 彼がこくこくと幾度も頷くので、一度体勢を戻して今度は片脚を抱えた。淫猥な音を立てて粘膜を擦り合わせ、必死に快楽だけを追う。 「ひぁ、そら、そら、や、出る、あ! そら、出ちゃ、そ……ッ」 「妹子、さ」 うわごとのようにとめどなくくり返される自分の名も、無意識にこぼれ落ちた彼の名も聞きたくなくて、唇を塞いで全部飲み込んだ。呼吸も胸も苦しくて壊れそうになりながら、先に自分が彼の中で欲を弾けさせる。一滴も余さず絞り取るように内壁が収縮し、彼も背をびくんと跳ねさせながら射精した。 くぐもった絶頂の声の余韻までしっかり口内で味わってから、繋がったままで彼の頭の横にどさりと顔を伏せる。彼が荒い息を吐きながら、だるそうに後頭部をぺしぺしと叩く。 「曽良、重い、どいて」 「ん……」 「あと抜いて」 薄情なものだと思いつつ重い身体を起こし、萎えた自身をずるりと抜き取った。彼は目を閉じ、は、と短く息をつく。混じり合って泡立った白濁が、どろりと垂れるのが見える。僕はその痴態を一瞥し、再び彼の上に倒れ込んだ。 「オイー、だから重いって」 「妹子さん」 肩口にぎゅっと顔を押し付ければ、ぼやきながらも頭に腕を回してくれた。白く細い、でも意外にしっかり筋肉のついた感触を覚えながら呟く。 「好きです」 彼は黙って僕の髪を掻き回す。何もわからないふりをして、もう一度その言葉をくり返した。 まさぐる指が止まり、頭上からぽつりと声が降る。 「駄目だよ、僕なんか好きになったら」 知ってます、と返すと、困った子だなあ、と笑われた。鎖骨に頬を密着させながら、二の腕にそっと手を這わせる。気付いた彼が逆の手を伸べてくれ、そっと指を絡めた。骨ばった指と指は重ね合わせたところで隙間だらけで、力を入れればきっと痛いだけだ。それでも今ここには、その痛みさえない。 ×××××× 「久しぶりだねえ。一体どうしちゃったの、君は」 マグカップをことんとテーブルに置き、男は気遣うように眉を寄せた。視線から逃れるように目を伏せ、淹れてもらったばかりの熱いコーヒーをすする。安っぽい苦味が神経を這い上り、頭痛を酷くする。黙ってカップを置いた。 男は自分のデスクに戻らず、天井までぎっしりと背表紙の並ぶ本棚に寄りかかった。不細工なクマの絵のついたマグカップを両手で包み、ふうふうと息を吹きかける。沈殿するほど砂糖とミルクを入れた甘ったるいコーヒーをこくりと飲み、男は息をついた。いつから着ているのかと問いたくなる型遅れのベストとスラックス、細かい模様の入ったえんじ色のネクタイ。白いシャツに黒の腕抜きをはめた姿は事務員にしか見えないが、これでも松尾はこの研究室の主である。十年ほど前に教授に昇進したときには異例の若さだともてはやされもしたそうだが、それ以降は学内で重要なポストにつくでもなくセンセーショナルな論文で学界を席巻するでもなくへらへらと過ごし、今となってはただのくたびれた中年だ。 「いくら君が優秀だって云っても、これ以上休んだら単位あげられないよ。私の句集買ってくれたらちょっとはおまけしてあげるけど」 「先生の本、この前ブックオフ行ったら100円の棚にずらっと並んでましたよ」 「え、売ったの!? 誰が!? て云うか出たの今年の春だよ!?」 大方買わされたゼミ生がこぞって売りに行ったんでしょう、と言うと、松尾はあからさまに肩を落とした。と云うか、自分は既に彼の著作を持っている。7割くらいはゴミみたいな句だが残りの3割は悪くないと思ったので、ちゃんと書店で新品を買った。そんなことを言えば調子に乗るから、絶対に教えないけれど。 松尾は何事かぶつぶつと恨み言を言いつつ、またカップを口に運んだ。気付かれないようにちらと目をやる。一口飲んだことのある友人曰く胸どころか舌まで焼けるほど甘いと云うその液体が、ほんの少し羨ましく思えた。疲れているのだ、と自嘲し、再度目を伏せる。目線を落とした先には、ブラックコーヒーがその表面に天井を映している。それを眺めながら口を開く。 「僕、あと何回休めますか」 「もう無理だってば。発表だってほんとは先週やるはずだったのに、君が出てこないから待ってるんだからね」 「発表、は、すみません。必ずします。レポートも書きます。だから、もう少しだけ休めませんか」 「……本当に、どうしちゃったの曽良くん」 松尾がため息をついた。 「体調でも悪いの? 顔色も良くないみたいだし。もしあれなら、学生部行ってちゃんと届けを」 「そういうんじゃないんです。なんでもないんです、本当に」 ぐらり、頭が重くなるのを感じて左手でぐっと押さえた。何日まともに眠っていないのかわからない。気付いたら夜になって、眠れないまま朝になって、延々とそれがくり返される。日々を過ごすのがこんなにも苦痛だと感じたのは生まれてはじめてだった。それでも、こんなのはなんでもないことで。 すうっと痛みの波が引いてゆき、そろそろと手を下ろした。心配そうな表情を見たくなくて、足の間で組んだ自分の両手をじっと見つめる。 何か苦しんでるんだね、と松尾が言った。 「何があったのか知らないけど、君くらいの年にはよくあることだよ。私にも覚えがある」 「先生と一緒にしないでください」 「はは、そうだねえ。なんだか私は君を見てると、若い頃の自分を見てるような気がしちゃうんだけどさ。でも、そうだね。おんなじなんてことはないもんね」 笑いながら語る師に苛立つ。何も知らないくせにわかったような口を聞く。知ったらどうせ軽蔑して、そのあと取り繕ったような顔で諭すだけのくせに。誰にも打ち明ける気なんてないのに、そんなことで苛立つ自分にも苛立つ。 組んだ手が小刻みに揺れているのに気付いた。身体が感情を制御できずにいるのを視認し、いたたまれなくなって立ち上がった。 「帰ります」 目を合わせないままドアノブに手を掛けようとすると、ああ待って、と声をかけられた。振り返ると、松尾がマグカップ片手にこちらへやってくる。 「あと2回、今月いっぱいまでなら休んでもいい。と云うか、休みなさい」 「……」 「私は君の苦しみを代わってはあげられないから、君自身がなんとかしなきゃダメ。自分でちゃんとカタつけて、気持ちを入れ替えてから大学に来ればいい。社会人だったら許されないことだけど、君はまだ学生だからね。ちゃんと立て直して、勉強はそれからでいいから」 いくらか目線の低い彼の、その手の中のカップを見つめながら、押し出すように「ありがとうございます」と言った。視界の上端で、薄い唇がにっこりと弧を描く。 「あ、あとね。それから」 思い出したようにスラックスのポケットを探り、松尾ははい曽良くん、と満面の笑みで何か差し出した。訝りながら手を出すと、ころりと小さな包みが手のひらに転がされる。 「考えすぎて疲れたら、飴でも舐めて糖分摂りな。足りなかったらまたあげるから、いつでもおいで」 「……はい」 「じゃあ来月、松尾珠玉句集の感想文楽しみにしてるから! 4000字以上ね!」 嬉しそうに肩を叩かれるが、うまく返せずに黙って会釈をして踵を返した。誰もいない廊下を早足に歩き、階段を下りる。どこかの部屋からコピー機のうなる音が聞こえた。微かなのにやたらと耳につくそれに歯噛みしながら建物を出た。4限目の講義中で人のまばらなキャンパスを最短距離で突っ切り、徒歩7分の自宅マンションへ向かう。 途中の信号待ちで、握り締めていたイチゴの模様の包みをそっと開けた。口に放り込んだそれは少し溶けかけていて、甘くて、ひたすらに優しい味がした。 ×××××× そして夜になる。飴なんかとっくに舐め終わってしまって、僕は相変わらずカーテンの隙間に身を隠している。 今日は食事を取る気にはなれなかった。無理やりに詰め込んで吐いてしまって、あの優しいイチゴ味までなかったことにしてしまうのがなんだか嫌だった。本当にどうかしている、と喉の奥でわらう。 何とはなしにベッドサイドの目覚まし時計に目をやった。文字盤が反射して読めなくて、首を傾ける。日付はもう変わっているようだった。終電に乗ったならそろそろ着く頃だなあ、とぼんやり思う。 迎えに行こうか。 どうしてそんな考えに至ったのかわからない。そんなこと、今まで一度だってしたことはなかった。彼はまだ帰ってきてはいないはずだけれど、終電で帰ってくるかどうかはわからない。また上司に飲みに付き合わされているかも知れない。それでも行こう、と思った。 スニーカーのかかとを踏んで突っかけ、軋む扉を開ける。電気は点けっぱなしで、鍵もかけない。解けた靴紐を踏んで転ばないよう、のろのろと階段を下りた。マンションのすぐ先の交差点でコンビニに入り、ポケットに入っていた小銭で棒付きの飴を買った。適当に選んだのはぶどう味だった。いかにも人工的な紫色をしたそれをくわえ、線路沿いの道を歩く。回送列車が通り過ぎ、からっぽの車内から黄色い明かりが漏れた。僕は飴をくわえ、ただ歩いている。喉が渇いているのか唾液があまり出ず、飴はなかなか小さくならなかった。それでも口の中の飴が半分ほどの大きさになったところで、最寄の駅に着いた。ほぼ同時に自動改札の向こう、ホームに電車が滑り込む。ぷしゅう、と腑抜けた音を立てて開いたドアから、疲れた顔のサラリーマンや平日だと云うのに酔っ払った若者たちが吐き出された。僕は人の流れを避け、券売機の脇に立つ。終電の乗客は老若男女様々で、でもみんな同じような顔に見えた。飴を舐めながら同じような顔をいくつか見送った。 同じじゃない顔と目が合った。 「……びっくりした」 彼は定期をしまいながらぎこちなく笑う。僕は黙って、意味もなく頷いた。 「でも、どうしたの。気まぐれ?」 「……」 「わかんないけど、いいよそういうの。面倒だし。用事があれば僕が行くし」 「僕がずっとあなたを待ってるとでも思ってるんですか」 彼の革靴の爪先を眺めながら一息に言った。彼は虚をつかれたように黙り込む。 僕は飴を奥歯で噛み砕いた。ふやけた棒を口から抜き、だらりと手を下ろす。甘ったるいぶどう味が口の中で溶け出した。それに後押しされるように一歩踏み出し、彼にキスをする。 「! ん、ちょ、曽良」 構わずにねとりと舌を割り込ませ、飴の破片をいくつか彼の口内に送り込む。最後にべとついた舌でぺろ、と唇を舐めると、同じ甘い味がした。 「……なに」 「甘いでしょう」 彼は口の中でもぞと舌をうごめかせ、訳がわからないと云った表情で頷く。僕はそれを見て笑った。 「明日も迎えに来ます。飴、何味がいいですか」 彼がその大きな瞳を瞬かせる。僕はいっそう笑う。 鞄を持っていない方の手を取り、指を絡めた。行きましょう、と促すと、彼は我に返ったように頷いて繋いだ手に力を込める。ああ、と思った。口の中に広がる味も、帰り道も、臆病なのも同じだったのだ。 きっとこうして進んでゆける。それが正しい道なのか、しあわせなのか、そんなことはわからないけれど。それでも、希望も絶望も全部、今ここにはないから。それならばこうして二人、先へ進もう。
つぎの夜へ
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