早花咲月







「おまえが居眠りとは珍しい!」



 高らかな声と共に、窓の開く音。
 ……ここは二階だ。



「……うるさいな。どこで寝ようと僕の勝手でしょう」



 不機嫌そうに、図書室の机にうつぶせていた身を起こす。
 ああよかった、本は折れていない。



「ふふん、おまえがどこで寝ようが逆立ちしようが知ったこっちゃないがな。今日は卒業式だぞ、この僕の!」
「式には出ましたよ。終わったからここにいるんでしょうに」



 あんたこそ謝恩会があるんじゃないのか、と云うと、僕は教員なんか一人も覚えちゃいないからいいんだ、と笑った。
 ざわり、と風が吹いて、その冷たさに身震いする。男は土足のまま窓枠を乗り越えた。肩から引っかけただけの学生服がはためく。そこに、ふと違和感。



「あんたどうしたんだ、その」



 自分の着ているものと同じ意匠のはずのそれには、金ボタンがひとつもない。袖口のものまで綺麗になくなっていて、一見するとマントのようである。



「ああこれ? 式のあと女子学生が群がってきて、なんだか根こそぎ持ってかれた」



 思いを寄せる男子学生にボタンをもらうのは、昨今の流行りであるらしい。お守りのようなものか。



「おお、そうだ!」



 低い本棚に腰かけ、長い足をぶらつかせていた男は、思い出したように声をあげた。学生服の胸ポケットに手をつっこみ、つまみ出したなにかを投げてよこす。
 きらり、と陽をうけて光った。



「……なんのつもりですか」
「女の子たちが口々に第二ボタンをくれって云うものだから、特別なものなのかと思って」



 とっておいたのだ、と云う。
 そういうことじゃない。





「持っていてほしいんだ。中禅寺、おまえに」





 去る者から、残る者へと。
 消える者から、継ぐ者へと。
 いとも容易く訪れる日常の転換に、ささやかな抵抗を。





 僕も大概少女趣味だな、と云って、また笑う。



「榎木津、先輩」



 第二ボタンを手の中に握り込む。
 早春の光が色素の薄い髪を透かしていて、とても綺麗だと思った。







「ご卒業、おめでとうございます」







 ああ、このひとはいなくなるのだ。