かへし見よおのが心はなに物ぞ色を見声をきくにつけても







う 骨







 少し複雑な育ち方をしたから、と云う解釈の仕方は好きではないけれど、やはりそう云った境遇が人格の形成に大きく関与していることは否めない。自分と云うものがこの頭蓋の中や皮膚の内側だけにあるものではなく、関わる周囲の全てをも含んだ概念の総称であることくらいは承知の上だ。多くのものに触れるほどに自我はどこまでも拡張されてゆく、そしてそれは希薄になることではない。


 それでもその根底か、そこまで言い切れなくともそこにごく近い部分を占めているものの正体は、なんとなくわかる。






「こんにちは」か「こんばんは」かで逡巡していると、挨拶なんかどうでもいいから取り敢えずその持ってきたものを見せろ、と云われた。


「なんだか兄さんと話していると、天眼通とでも対峙しているような気分になるわ」
「それは褒め言葉と取ればいいのか」


 お好きにどうぞ、と苦笑し、抱えていた封筒から校正途中のゲラ版を取り出す。来月号の稀譚月報に載せるはずのそれだが、どうにも記事内容に不明瞭な点があるので、兄に助言を仰ぐことにしたのだ。
 床の間を背にした古書肆は手を伸ばして原稿を受け取り、ざっと目を通してからふうん、とつまらなそうに唸った。


「どう思う?」
「僕も氏の論文は読んでいるが、この記事は良くないな。先入観が勝ちすぎていて本質が見えていない。原子力より遥かに安全なエネルギイ資源、と云う謳い文句だが、そもそもこれは実用化には大きな難があるし、効率も悪い。そのデメリットに全く触れずに書いているから文章も宙ぶらりんになるのだ。これでは読者の誤解を招く」
「わかりました、担当者と編集長にはその通り伝えます」


 戻された原稿を元通り封筒にしまい、足を崩す。
 義姉が茶と羊羹(自分が土産に持ってきたものだ)を運んできてくれた。彼女にも座るよう勧めたが、何やら近所で会合があるらしくやんわりと断られてしまった。久々にゆっくり話がしたかったのに、残念なことだ。


「茶を飲んだら帰れよ」
「はいはい」


 仏頂面には慣れている。人前でも平気で本を開きはじめるのにも。
 熱い玉露をすすり、羊羹を小さく切って口に運ぶ。贔屓の和菓子屋は小豆の味が上品で、京都にいた幼い時分のことを思い出して懐かしい気分になる。




 あにといもうと。
 共に過ごした記憶などないに等しいが、それでもこうして同じ空間にいるだけで奇妙な安心感や郷愁にも似たものを感じるのは何故だろうか。これが血の繋がりと云うものか。うまく説明のつかないまだるっこいような感情を、珍しく愛しく思う。





「ふふ」
「何を笑ってる、気持ち悪い」
「別に」







(冒頭歌・慶運法師)(今昔画図続百鬼より)