「今年は梅が遅いねえ」 床の上に半身を起こした芭蕉が、開け放した障子の外を眺めながら呟いた。 広くもない庭に一本だけ植えられた梅は蕾こそ出せど、まだ寒々と黒い腕を伸ばしている。 「桜は少し早いようですよ」 江戸でちょうど追いつくかもしてませんね、と番茶をすすりながら返す。もともと安物だしいい加減古くなっているので味も香りもお粗末だが、それでも身体は十分温まる。風はまだ、冷たい。 「あ、曽良くん自分だけずるい! 私もお茶飲みたい」 「自分で淹れてください」 「……私仮にも君の師匠だし、ましてや病人」 「それが何か?」 「……いえ、なんでもないです」 痩せた肩を落とし、急須と湯呑みの載った盆を引き寄せる。たったそれだけの動作も、最近はひどく億劫そうにやるようになった。骨が浮き、くすんで乾いた手の甲にぞっとする。こんな末端にまで、死の影。 いたたまれなくなって目を背けた。空は白く、薄雲のかかった日輪が頼りなげな光を投げている。着飾らない庭は春と云うよりは終焉を待っているように見えて、やるせない思いが胸を満たした。 「梅と桜、かあ」 ずずっと茶をすすり、芭蕉は首を伸ばして塀の向こうを見やる。 「川べりの桜、ここから見えるんだよね。もし一緒に咲いたら二大役者の競演だ」 「句にはしづらい風景でしょうね」 「あはは、そうだねえ」 からからと笑い、遠くを見るように目を細めた。桜の海に映える紅梅を思い描いているのだろうか。 見られるかなあ、見られるといいな、と独りごちる。 そうですね、と呟く声がかすれた。 ラストマーチ(曽芭) |