いつか来る裏切りの朝のために。



 しなやかな猫のような身体を数時間ぶりに衣服が包んだ。官服よりもだいぶ簡素であるとは云え、薄らと汗ばんだ肌に貼りつくそれはやけに重く感じられる。どうせ誰にも見られまい、と少ししどけなく着崩すと、開いた首元から夜明けの空気が忍び込んだ。ふう、と息をつく。


「帰るのか」


 眠っているとばかり思っていた彼に不意に声をかけられ、内心どきりとしながら振り向いた。薄い上掛けにくるまって床の上でまどろむその瞳が、上目遣いに淡い光を投げる。


「ええ、そろそろ妻が起きますから」
「すまない、長居をさせた」
「どうして謝るんですか。そんなだから」


 僕みたいなのにつけ込まれるんですよ、と云おうとしてやめた。加害者ぶるのは潔くない。同罪、だから。
 不自然に切った言葉にも、彼が訝しむ様子はなかった。眠いのだろう。昨夜もずいぶん無理をさせたからなあ、とぼんやり思い返して、その反芻の下世話さに自嘲の笑みを浮かべる。


「そっちはいいんですか」
「なにが」
「太子が来たら」
「こんな時間には来ないよ。来るなら早くても昼過ぎ」


 普段よりやや舌足らずな喋り方が似合わなくて、少しのおかしみを覚える。ただそれ以上に胸に重くのしかかるのは、一晩中一緒にいても見ることのなかったその幸せそうな。
 わかっている。それに嫉妬や痛みを感じることは間違っている。自分だってきっと、家族のことを思うときにはそんな表情を浮かべているはずだから。



(僕らには、帰る場所がある)



「じゃあ、また」
「ああ、近いうちに」


 ぼやかした約束で別れるのはいつものことだ。「これが最後になればいいのに」と、きっとお互い毎回のように思っている。依存でも耽溺でも傷の舐め合いでもないこの関係は、なぜ。



僕らはこの世で結ばれることはないのだろうし、たとえ生まれ変わったとしてもそうなのだろう/それは当然のことだし、それは悲しみでもなんでもない/僕は彼でない誰かのために、彼は僕でない誰かのために在る/それこそが幸福で/その事実を恨むなんて、僕らには考えもつかない/けれど/ただ




(もしも地獄に堕ちるのならば、僕は最もくらいふかいかなしいくるしい闇の中で彼と共に在りたいと)




 気怠い身体を引きずって家路を急ぐ。
 白みはじめた東の空が、少し僕らを憐れんだ。





サッドマシーン(妹魚)