日傘の影がまるく地面に落ち、ふわりと甘い匂いがした。



「お隣、失礼するネ」
「んだよ、ガキ」
「ガキじゃないアル。神楽ヨ」


 覚えてるくせに、と笑うその横顔は、確かにもう少女ではなかった。女だった。
 煙管に詰めた刻み煙草は、とうに吸い終えてしまっていた。引っくり返してとんとん、と指先で叩くと、灰はぱらぱらと足元に舞った。


「いい天気アルな」
「そーだな」


 夕暮れまでにはまだ随分と間があって、陽が落ちてもそれほど肌寒くはなくなってくる頃だった。
 狭い公園に人影はなく、それでも寂しいとは感じられなかった。少なくとも街は賑わっていた。


「晋助、最近なにしてるアルか。全然見かけないネ」
「別に、なんにもしてねーよ」
「無職か? 無職アルか? ププッ、哀れな男」
「うっせーな」


「帰る場所は?」


 さりげない問いに顔を向けると、そこには慈母の笑みがあった。少しかなしげで、でもあたたかい。
 質問には答えず、おまえ、家族は、と訊いた。


「マミーは昔病気で死んじゃったアル。兄ちゃんはしらない。どっか行っちゃった。パピーはまだきっと宇宙のどこかでえいりあんと戦ってて、ときどき手紙が来るアル。写真が入ってないのは、きっと娘の記憶から自分の貧相な頭皮を消し去りたいのヨ」
「そうか」
「晋助も気をつけるアル、三十過ぎると急に来るって話ヨ」
「俺はハゲねーよ」
「そうカ? 銀ちゃんもそう言ってるけど、最近ちょっとM字入ってるアル。私しってるヨ」


 ここら辺ネ、と額を指さしてにやにやする。「おにーさんもヘアチェックするアル」と前髪に手を伸ばしてくるから、んだよさわんな、とだけ言って、でも払いのけはしなかった。
 細く白い指が、すうっと髪を梳く。やさしい感触がなぜか懐かしくて、少し視線を落とした。



 蒸し暑い夜に、薄汚い街で生まれた。母親は安女郎で、間借りしていた女衒屋の二階は狭苦しくて薄暗くて、いつも白粉と汗の匂いがした。女臭い、と近所の子供たちには嘲られてのけ者にされた。今思えば、そう境遇も変わらなかっただろうに。
 十一の冬の朝、母親が首を吊って死んだ。それからは泥水すすって血反吐吐いて生きて、生きて生きて、そしてあの人に出会った。あいつらに出会った。
 あの人が死んだとき、世界はもう一度死んだ。すべてを憎んだ。塵ひとつ残さずぶっ壊してやろうと思った。壊して壊して壊し尽くして、それからどうするのか、なんて考えたくなかった。すべてが憎かった。



(でも、もう)



「晋助は、大丈夫アルな」


 そう言って離れかけた指を、そっと掴んだ。
 引き寄せて抱きとめて首筋に顔を埋めると、またふわりと甘い匂いがした。それはやっぱり女の匂いで、でも母親のそれとは違って、でもやっぱりどこか懐かしかった。


「俺は、大丈夫か」
「今んとこは、だけどな」
「そうか」



 顔を埋めたまま、かぐら、と呟くと、女はくすぐったそうに笑った。





はなとゆめ(捏造まみれ高神)