路 地 裏 で ダンスを 室外機がわざとらしく熱を吐いている。埃臭い空気には確かに異質なものが混じっていて、それが俺と目の前の男の汗の匂いであることはもはや瞭然たる事実であった。 「どけよ」 台詞と共に漏れる自らの息が熱い。体温の上昇の原因はこの気温か、それとも。 「離れろ。暑苦しい」 「嫌だ、と言ったら?」 ああもう、なんでそんな声出すんだよ。どっから出てんだよその声。どうしてただの空気振動が、こんなにも耳を犯す。 古泉の顔がまともに見られない。内緒話をするときと同じくらいに近いから、思いっきり横を向いて目を逸らすしかない。看板に半分以上隠れた路地の出口は真夏で、午後の街のだらけた喧騒がやけに遠く聞こえた。 顔の前にとん、と手が置かれ、俺は情けなくもびくりと肩を跳ねさせる。半袖のシャツから伸びる腕のラインが綺麗でぼうっと眺めていると、不意に首筋にべろりと生温い感触が這った。 「っひ……!」 「しょっぱいですね。汗の味だ」 尖らせた舌先でつうっと舐め上げられ、思わずしなった背を汗が伝う。襟ぐりの大きいTシャツなんか着てくるんじゃなかった。露わになったうなじに、喉仏に、鎖骨に、次々と古泉の唇が落とされる。 「やめ、古泉……っ」 「本気で抵抗しようと思えばいくらだってできるでしょう? 僕は何もあなたを拘束してるわけじゃない。殴るも突き飛ばすも蹴りを入れるもあなたの自由ですよ」 「っから、やめろって……今ならまだ、」 「冗談で済ませる、と?」 耳朶を食んだ唇がそのまま言葉を吐いた。熱に潤んでいるのに、どこか渇きを孕んだ声だった。 俺はぎゅうと目を閉じて闇雲に左手を動かし、首元にかぶさる頭を押し返した。髪の間に差し入れた指が、古泉の汗でじっとりと濡れた。 古泉の額を手のひらで押しとどめたまま、ようやく前に向き直る。少し上がった息を整えつつこわごわと目を開き、目線をちらと上へやると、古泉は俯いたまま俺の腕の向こうでにこりと笑った。 「冗談ですよ」 言葉が出なかった。 震えてるのは俺か、それともこいつか。俺のそれは出口のない怒りと得体の知れない絶望からだ、じゃあお前は? なんでお前はそんなに、 どうしてわらうんだよ。 俺は五指をしっかり食い込ませ、力任せに古泉の頭を押した。綺麗な形の後頭部がビルの外壁のコンクリートに当たって、ゴン、と凄い音がした。「って」と古泉は短く声を漏らす。ああ、それが素なのかな。そうならいい。一瞬その瞳に浮かべた憎悪に似た色だって、そうやってすぐ引っ込めたりしなくていいのに。 「古泉」 狭い路地に腕を突っ張るだけのスペースはなく、古泉の頭を壁に押しつけている俺の左腕は曲がって鈍角を形作っている。空いた右手で拳を固めると、伸びかけた爪が皮膚を刺した。 「殴っていいか」 「どうぞ」 「手加減しないぞ」 「構いません」 「二目と見られぬような顔になっても知らんぞ」 古泉が遮るように「早くしてください」と言う。なあ、お前そんな喋り方する奴じゃないだろ。無駄に余裕たっぷりでぐだぐだよく喋って人の話聞かずに笑顔で締めて、なのにどうしてそんななんだよ、なあ。 俺は額を押さえていた手を剥がすと素早く古泉の胸倉を掴み、噛みつくように口づけた。がつんと歯がぶつかり合う音がして、多分唇が切れた。 「っふ、ん、んぅ……」 自慢じゃないがキスなんか慣れていない。息継ぎの仕方もよくわからん。ただ衝動のままに、舌を捻じ込んでぐちゃぐちゃに絡める。あからさますぎる水音を薄暗い路地に響かせながら薄く目を開くと、古泉も半分目を開いたままだった。せっかく綺麗な色をした目なのに、虚ろで光のないそれはまるでドブ川みたいだった。 (知るかよんなこと、) 問いもないのに答えばかりが頭の中をぐるぐる回る。 お前は俺が嫌いだと言ったら笑うんだろ、好きだと言っても笑うんだろ。つまりは欲しくない言葉は全部その薄っぺらな笑顔で突き返すんだ。じゃあ俺はどうしたらいい。俺が神に選ばれたからって俺がお前を選べないなんて、そんな馬鹿な話があるか。 なあ、餓えてみろよ。お前、全然満たされてなんかいないぞ。 視線も絡まない至近距離で、古泉が眠るようにすう、と瞑目した。それとほぼ同時に、ゆるゆると動いた指先が俺のTシャツの袖を掴む。そんなに引っ張るなよ、伸びるだろうが。んなとこ掴んでないで、背中に手を回して俺を抱きしめればいい。めちゃくちゃ暑くて汗臭いだろうけど、でもそれが今この瞬間の世界なんだよ。 舌を噛みきって殺してやろうと思った古泉とのキスは夢のように甘美で、ああ俺はこいつを救えやしない、と泣きそうになった。 |